最終更新日  2005/03/01

人物 源義経
時代 平安時代
越後との関連性 頼朝軍に追われ、京都から
平泉(岩手県)まで逃避行を行う。
その際越後を通過する。

「義経」コース

能生白山神社(能生)

胞姫神社
(柏崎)

聚感園(寺泊)

国上寺(分水)

判官舟かくし(巻)

弁慶の投げた岩(寺泊)

弥彦神社(弥彦)

多岐神社(村上)


中尊寺(岩手県)

義経堂(岩手県)

最上川川下り(山形県)


参考書籍

司馬遼太郎著『義経』 文春文庫

司馬遼太郎著の「義経」ですが、残念ながら
平泉に向う逃避行については詳しく描かれて
いません。
 

井沢元彦著『逆説の日本史5』小学館文庫

義経という人物に井沢氏独自の視点で迫ります。
井沢元彦著『義経はここにいる』 講談社文庫

これは井沢氏得意の歴史ミステリーです。義経
の死の謎と、奥州藤原氏三代の謎を現代ミステ
リーに巧みに取り入れています。

義経の越後の逃避行ルート

 義経の越後逃避行ルートについては『義経伝説』の佐藤さんから調査・報告戴きました。

 義経公の逃避行は、琵琶湖の大津浦から海津の浦に渡り、愛発山(あらちのやま)越前の敦賀津から、平泉寺(現勝山市平泉町)へ向かい、細呂木(ほそろき:現金津町)、そして加賀国の篠原に着く。更に富樫、竹橋に停泊、倶利伽藍山を越え、越中国松永の八幡(石動町:いするぎまち)黒部の宿、如意の渡し(小矢部の渡し?)、
市振、浄土、歌の脇、寒原(親不知)、なかはし(長浜?)、岩戸の崎を通り、越後の国府である直江着く。直江津から船を乗っ取り、海路を佐渡島に向かうが波が高くて、船を止められずに、能登国の珠洲(すず)の岬に向かったが、結局西風に阻止されて、越後国の寺泊に着く。その夜のうちに西蒲原郡国上(くがみ)まで来て、みくら町に宿を取り、弥彦の大明神を拝み、九十九里の浜(五十嵐浜?)、蒲原の館を越え、八十八里の浜(島見浜)を過ぎ、荒川、岩舟(現村上市 岩船町)、瀬波(現村上市瀬波町)から遂に羽前国念珠(ねんじゅ)の関にたどり着く。