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ちゅうそん
     じ
最終更新日  2002/04/09

中尊寺は天台宗東北大本山です。

850年に慈覚によって開山され、
(ちなみに山形県の山寺も慈覚です。)
その後奥州藤原氏が造営に支援し、
現在のような規模になりました。

壁紙の芭蕉は、奥の細道の道中でこの中尊寺を訪れ、
「五月雨の 降り残してや 光堂」
という句を残しました。

頼朝の焼き討ちと山火事によって
金色堂と経堂だけが残っていた様を、
五月雨がよけて通ったという表現をしたわけですね。

それにしても頼朝はなぜ、金色堂を残したのでしょうか?

本堂です。「不滅の法灯」には
最澄が点火した炎が
現在までともされています。
金色堂はこの建物の中にあります。
ただし撮影禁止です。
建物中に建物があるのです。
1124年に黄金で造立された
この黄金の建物の中には
初代清衡公、基衡公の遺体と
泰衡公の首級が納められています。


余談ですが、井沢元彦氏はこの金色堂
の建立目的を推理しています。
(「義経はここにいる」)
敷地内には宮沢賢治の詩碑があります。
金色堂は、はじめこの鞘堂(さやどう)
(覆い堂とも言います)の中にあった
のですが、金色堂の保護のため、
鞘堂のみを移転させたのです。

ちなみに鞘堂は鎌倉時代になってから
できたようです。
それまでは金色堂がそのまま
建っていたのでしょうか?

弁慶堂は神社です。

岩手県平泉町衣関

越後の歴史探訪観光案内所