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最終更新日  2002/03/29

人物 奴奈川姫
時代 大和時代
越後との関連性 糸魚川に在住

「奴奈川姫伝説」コース

能生白山神社(能生町)

奴奈川姫像
(糸魚川市)

天津・奴奈川神社
(糸魚川市)

奴奈川姫の鍾乳洞
(青梅町)

諏訪大社(長野県諏訪)

参考書籍

 梅原猛著『神々の流竄(るざん)』集英社文庫

 オオクニヌシの伝説を梅原氏独自の切り口で推理します。意外な展開に眼からうろこが魚ごと落ちてきそうになります。
出雲族は出雲にいなかった?ヤマタノオロチこそがオオクニヌシだった?

 夜も寝られなくなる恐るべき著書です!!奴奈川姫とのかかわりには触れられていませんが、勾玉とのかかわりということで越後は登場します。



奴奈川姫伝説
奴奈川姫と古志のくに
 奴奈川(ぬながわ)姫は王妃糸魚川の地方豪族の王妃です。この豪族の国は「古志のくに」と推定されます。古志はその後「越」という字があてられ、越後国という文字に引き継がれてゆきます。そうそう、新潟には「山古志村」という地名も存在し、なにごとかを感じさせてくれます。

 古志と推定されるこのくには、翡翠(ひすい)という草もち色の装飾石が産出し、当時(神話の時代)において高名な地域であったと言われています。

 そして奴奈川姫ですが、彼女は青海町の鍾乳洞に居住していたという伝承があります。(これは無理があるな〜)

大国主の求婚伝説
 その名声をきいて、やって来たのがなんと大国主の命です。もちろん出雲から来るのですが、ここ糸魚川の海岸線は天嶮の岩場です。芭蕉が好きな人なら、「親知らず子知らず」といえばわかるでしょうか。したがって、60キロほど先の上越の居多浜(親鸞上人もここから上陸)から上陸し、陸路糸魚川まですすみ、鍾乳洞までやって来て求婚しました。もちろん奴奈川姫は承諾したそうです。(伝説ですからね、伝説。)

 本当に大国主が越後に来たかどうかはわかりませんが、そうだとしたら超大物来航の伝承ですね。
越後上越を南下すれば大国主のせがれを祭神とした諏訪大社がありますが、これは何かを意味するのでしょうか?
三種の神器の勾玉について
 梅原猛氏は三種の神器をこう推理します。
 鏡は九州地方のいわゆる天孫族の皇位継承の証、そして剣は大和地方の出雲族の皇位継承の証、(何故出雲族が大和かって?気になるなら読んで!)この二つを持つ者が真の皇位継承者である・・・とつまり神器はむかし二種だったというのです。

 しかしながら玉は日本民族にとって、装飾品であり、様々な意味をもつ宝であり、その産地は越(こし)の国の小滝川の下流であったと言うのです。ここで奴奈川姫伝説にかすかに共通点を見出せるかも!そして勾玉は鏡や剣とは違った意味をもつ宝として三種目に加えられたかもしれないと言います。小滝川は糸魚川市にある現存する川で、ヒスイ峡というのがあります。