これは本殿です。寛政7年の建造です。
拝殿は幕末の建造です。

中世平泉寺は敷地も広大で、財政的にも裕福で、
修験者や衆徒を名乗る悪僧の巣窟でもあった
ようです。白山権現系の寺院は平安末期に天台宗
(叡山)の傘下に入ります。
平家物語では、叡山の僧兵とともに平家軍と闘い、
御所を脅したりします。
最盛期の南北朝時代には五万石の領地を持ち、
動員力は20万石に及びました。




楠正成の墓がありました。
その後太平記が読まれ、楠正成や新田義貞が
たたえられ始めて、この供養等が建てら
れたのでしょうか。


もともと平泉寺は荘園領地を認めそうになかった
尊氏に対抗する新田義貞に従軍しました。しかし
藤島庄の寄進と引き換えに北朝に寝返り、新田義貞
を破るのです。「僧兵八千」といわれた武装教団
でした。




三の鳥居です。やはり木製で、いっそう風情が
あります。参道の脇にはびっしりと苔が生えて
います。そして左右には石垣。
この景色は本当に見事です。

冬には雪に埋まるらしく、景色もまた
格別なものになるということです。

平泉寺が灰になるのは天正二年で、越前門徒は
加賀門徒と協力し、一揆を起こし、「僧兵八千」
と激しく戦います。3日目に六千坊を放火、一夜に
して焼失させます。

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