最終更新日  2002/03/29

人物 小林虎三郎
時代 明治初期
越後との関連性 長岡出身

「米百俵」コース

三根山藩陣屋(巻町)

米百俵の碑と国漢学校跡地
(長岡市


米百俵

 小泉内閣総理大臣の所信表明演説で改めて知られるところとなった「米百俵」です。
 
 長岡市の小学校では授業で教わったり、劇をしたりして、その精神を継承されていますが、その他の市町村では知らない人も多く、先日何人かで集まった時に、皆に聞いてみたら「今回初めて知った!」というのがなんと全員の意見でした(内訳・・・新発田、水原、柏崎、寺泊各1名ずつ)。

「米百俵」とは?!
 戊辰戦争で官軍に荒野にされた長岡藩は、石高まで減封されてしまいます。この極貧情況を何とか援助しようと、親戚筋に当たる三根山藩が米を送ります。米が現地についた頃、長岡藩では分配方法を議論していましたが、小林虎三郎が、「皆に配っても、一人五合程度、だったらこの米を元手に学校を創り、明日の長岡のために使った方がいいのではないか?」と提案します。この意見には反対も多く、大変難航しましたが、最終的に皆の指示も得られ、実際に学校が創られました。


小林虎三郎
 司馬遼太郎著「峠」を読むと、この氏の強烈さが分かります。ある時、火事で焼け出された氏を世話した河井継之助に対し、自分には返せるものがないから、かわりに私の意見を述べると、延々河井のことを説教し続けたと言われています。