うえすぎ
   じんじゃ
神社
最終更新日 2002/04/12

上杉家は景勝公以降、越後から会津、米沢へと移封されます。
上杉謙信は上杉家の最後の地、この米沢にて祭神となります。
(上杉鷹山もご祭神)

上越の春日山神社はこの上杉神社から分霊されました。

敷地内には宝物殿、敷地の外には上杉記念館が隣接されています。

上杉神社はもともと米沢城の粗末な城郭内の
不識庵(謙信の名前)という廟所で、
祭祀は真言密教の僧(大乗寺)が行っていました。
これは謙信が真言密教を好きだったからですが、
明治の廃仏毀釈によって、上杉神社と変え現在に至る中で、
大乗寺の僧もまた神官となり引き続き祭祀を行うのです。

←パンフレット       壁紙:謙信像

上杉神社は米沢城の跡地に
建てられています。
したがって、城跡らしく
堀の上にかけられている
橋を渡って中に入ります。
拝殿です。
上杉米沢藩の誇る上杉鷹山です。
養子であった鷹山は
二度に渡る藩政改革によって、
貧窮した米沢藩を建て直します。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 
成らぬは人のなさぬなりけり」
は有名ですよね。
伊達正宗生誕の地の碑がありました。


山形県米沢市丸の内

越後の歴史探訪観光案内所