まの
  ごりょう
御陵
最終更新日 2002/04/05

順徳天皇(流されたときには上皇)の火葬塚です。国内の天皇家の陵墓同様、宮内庁が管理し中を見学することはできません。二礼二拍一礼は門の外からです。

世阿弥も日蓮も佐渡に流されますが、上越流罪の親鸞も含め、皆戻ることができました。ところが順徳上皇はこの地でお隠れになられました。一説では自殺であったといわれています。都に帰れる望みが絶えたことを思い絶食したというのです。

順徳院が最初に佐渡の地を踏まれたのは小木港で、法体(僧形)であったとされています。当時、島の人々はこの人をただの坊さんだと思い、ふつう「順徳坊さん」とよんでいたと言われています。


佐渡郡真野町

 越後の歴史探訪観光案内所