順徳天皇

第三皇子
じゅんとくてんのうだいさんこうし
               のはか
の墓

最終更新日 2002/04/03

第一皇子は慶子様のコーナーで
「順徳院にはもう一人娘がありました。
その次女の名は忠子様といい、
母は佐渡の女性であったと言います。
忠子様は、まだ18歳という若さで
生涯を終えてしまいます。
佐渡では長女を「一宮」、
次女を「二宮」と呼んでいます。」
と、書いたのですが、
実は佐渡には第三皇子の墓があります。
しかも、私は第二皇子の墓を見つけられず、
ちょっと複雑な心境であります。

この御方は「千歳宮」とおっしゃいます。
しかもこの地は「三宮」と言います。
どなたかこの件について詳しい方、情報を!


佐渡の三宮


 越後の歴史探訪観光案内所