第一皇子は慶子様のコーナーで
「順徳院にはもう一人娘がありました。
その次女の名は忠子様といい、
母は佐渡の女性であったと言います。
忠子様は、まだ18歳という若さで
生涯を終えてしまいます。
佐渡では長女を「一宮」、
次女を「二宮」と呼んでいます。」
と、書いたのですが、
実は佐渡には第三皇子の墓があります。
しかも、私は第二皇子の墓を見つけられず、
ちょっと複雑な心境であります。
この御方は「千歳宮」とおっしゃいます。
しかもこの地は「三宮」と言います。
どなたかこの件について詳しい方、情報を!
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