よいた
   じょう
最終更新日 2002/04/28

現在与板城跡地は与板町ふれあい交流センター
となっています。

幕末時期の城主は井伊直安です。
井伊直安はあの桜田門外の変で暗殺された
大老井伊直弼の四男です。
与板家は二万石で、
与板城は城というより陣屋でした。

北越戦争の直前、旧幕軍諸隊は各地で官軍に追われ、
浮浪軍となり、会津や越後に入り込んできました。
与板に来たのは八百人の古屋隊で、
ゆく先々で強盗、暴行、強姦を
はたらきながら移動していたそうです。

この浮浪隊は
「与板の陣屋を貸すか、一万両出すか」
と迫り、むりやり七千両の藩金を
強奪していったといいます。
そのとき、自隊の新入り隊五人
(越後で急募)の首をはね、梟首し、
それら死人に強奪の罪をきせて去ったといいます。


与板町与板

越後の歴史探訪観光案内所