長岡城の完成は、牧野家初代城主忠成のときです。
幕末に長岡は戊辰戦争(北越戦争)の戦場となります。 長岡藩家老の河井継之助は、最後の最後まで戦争を防ぐ手立てを講じますが、 倒幕軍に聞き入れてもらえず、むなしく開戦となります。 とくにこの長岡城付近は激戦区となりました。
悠久山に複製された長岡城の中は郷土資料館です。 館内には河井継之助はもちろん、山本五十六や、 「米百俵」の小林虎三郎の展示コーナーもあります。 写真:パンフレット
ガトリング砲のレプリカが、この長岡城にあります。 (只見の河井継之助記念館にもあります。)
このガトリング砲はアメリカ製で、 日本国内に全部で3門ありましたが、 そのうち2門を河井継之助が入手したことで有名です。 (のこりの1門は薩摩藩)
なにしろ1分間に150〜200発発射できる 回転連射式機関砲ですので、 落城のときに、敵に渡ることを恐れ 水に沈めたと言いますが、その場所は分かっていません。
昭和43年に復元された上記長岡城 (郷土資料館)は、悠久山にありますが、 もともとは随分離れた、 今のJR長岡駅のあるところに本丸が、 厚生会館のところに二ノ丸が あったのです。 駅の周囲には堀も残っています。 現在でも二ノ丸跡の碑があります。
越後の歴史探訪観光案内所