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 むらまつ
     じょう

最終更新日 2002/04/27



村松城は戊辰戦争で焼失したため
現在は存在していません。
現在のように城跡公園となったのは
昭和50年代です。
敷地内では本丸などの跡も
確認することはできません。
郷土資料館と民具資料館が
開設されていて、
当時の様子を紹介しています。

←パンフレット
幕末時に、藩内に「正義党」と名乗る尊王倒幕派が現れますが、
藩によって首謀者7名(村松七士)は処刑されます。
その後藩は奥羽列藩同盟に参加(そもそも会津と隣接してますし)、抗戦しますが
同盟軍は長岡城の落城につづき、村松城も放棄します。
藩主の直賀は米沢に走り、正義党は直弘を擁立、
新政府軍側につき、会津征伐に参加します。

その後、最後の藩主直弘は明治6年に版籍奉還により藩知事になります。
さらにその後、廃藩置県により解体、村松県となり、
最終的に新潟県に吸収されます。
郷土資料館の村松城の模型です。

村松藩の成立は、1639年堀直時の時で、
3万石でした。
幕府は村上藩10万石を13万石に加増し、
うち3万石を直時に与え分家させました。

村上藩から完全に独立し、城下町を築き、
本格的な藩体制を整えたのは
子の堀直吉の代です。
藩領は村松、加茂、下田周辺です。


村松町乙


越後の歴史探訪観光案内所